『生年』 | 1935(昭和10年)9月14日〜 | |
『出身地』 | 旧満州熱河省承徳市 | |
『プロフィール』 | 1955年(昭和30年) | 墨汁一滴に参加 |
1956年(昭和31年) | 「嵐をこえて」(曙出版)でデビュー | |
1962年(昭和37年) | 「おそ松くん」(週刊少年サンデー)を連載開始 | |
1965年(昭和40年) | 古谷三敏,長谷邦夫,横山孝雄らの仲間と共に「フジオ・プロダクション」を設立 | |
1965年(昭和40年) | 「天才バカボン」(週刊少年マガジン)を発表 | |
『受賞暦』 | 1965年(昭和40年) | 第10回小学館漫画賞「おそ松くん」 |
1972年(昭和47年) | 文藝春秋漫画賞「天才バカボン」 | |
1997年(平成9年) | 日本漫画家協会文部大臣賞 | |
『寄稿』 | 週刊少年サンデー 1968年2,3合併号 | 「紅白ものまねまんが合戦」 |
絶体絶命 77年12月号 | 「手塚漫画の先駆性」 | |
アサヒグラフ 77年4月29日号 | 「五十過ぎても「マンガ少年」」 | |
手塚治虫漫画40年 | 「手塚漫画を語る」 | |
アサヒグラフ 89年2月24日号 | 「"漫画の神様"を送る通夜の客たち」 | |
週刊少年ジャンプ 89年3月15日号 | 「手塚治虫先生追悼」 | |
朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界 | 「HOMAGE TO OSAMU TEZUKA」 | |
コミックボックス5月号 | 「ぼくらはみんな手塚治虫が好きだった」 | |
ロストワールド | 「ジュピター博士の台詞に感動!」 | |
蘇る! 9月号 | 「手塚先生の思い出」 | |
ある日の手塚治虫 | 「手塚先生は困った人なのだ」 | |
『関連サイト』 | これでいいのだ!(公式サイト) |
『手塚作品中の赤塚不二夫』 | 紅白ものまねまんが合戦 |
赤塚不二夫 | |
『手塚先生との対談,座談会』 | みんな漫画が好きだった… |